【小さなパン屋 happyDELI】 西荻窪 それいゆ
コーヒーを飲んでいたら、ふと…。
学生の頃、西荻窪には喫茶店が沢山あって、勉強熱心とは言えない私は、ヒマとお金さえあれば、新田次郎や沢木耕太郎やアガサクリスティとともに、喫茶店をはしごしていた。一日に二軒はあたりまえ、ひどいときには四軒行くことも。
お小遣いは受取拒否していた(今思えば馬鹿じゃないか)ので、いくつも掛け持ちしたアルバイトで稼いだ小銭は、喫茶店のコーヒー代に消えていってた。
そのうち、喫茶店で働いたらいいんじゃない⁈ 良いアイデア!!と思った私は、早速行きつけの喫茶店『それいゆ』で、アルバイトさせてもらえませんか?と尋ねたのであった。
その時求人してたわけじゃないそれいゆさんは、🤔うーん、特に人出は足りてるのよね…。とオーナー女性は若干迷惑気に呟いていたのだが、何故か、「ここで働く!」という確信(笑)のあった私は、押しの一手で、アルバイトさんに混ぜてもらったのであった。
今でこそ、若い男性ばかりウエイターさんとして働いてる 『それいゆ』だけれども、そのころは、女子大生ブームで、女子大生ばかり働いていた。
昼間の厨房には、オーナーの大きいお姉さんと小さいお姉さん。夜の厨房は大きいお姉さんの旦那さんのお兄さんと時々バイトの男子学生。
お姉さん達は手作りのケーキを焼いて、お兄さんは水出しコーヒー担当。
ホールは、朝番ひとり、中番二人、夜番ひとりという感じ。
私はほとんど夜番で、17-24までのシフトに入ってたので、お兄さんと一緒に働くことが多かった。お兄さんはトランペット吹きで、夜になるとクラッシックからジャズに音楽を変えてたなー。
先輩アルバイトさんで、よく仕事帰りにそれいゆに寄ってた、JALのCAさんがカッコよくて、密かにCAになりたいとおもったのは、その頃かもしれない。
私が働き始めた時には、すでに古ぼけていたフランス人形は、まだいまたに、ガラスのショーケースの中にちんまり座っているのだからびっくりする。
タバコも当然ながらみんなぷかぷかふかしており、ピースやハイライトやわかばやマイルドセブンやキャスターなども店内で販売していた。煙が煙いから換気扇を強くすると寒くなり、あたたかくしようとすると、煙にむせてクレームが来る。
という今なら人が寄ってこないようなお世辞にも綺麗とは言い難いお店なのに、休みは元旦だけ、朝9時からラストオーダーは23:30、お昼前からは常に8割席が埋まっているという、今からおもえば、お化けのようなお店である。
そんな、昭和の匂いがプンプンする『それいゆ』で働き始めたことが、今のような仕事をする原点なのだろうとおもう。